ホロコースト 救出された子供たち



 『ホロコースト 救出された子供たち』という映画を今年正月テレビで観ました。
強制収容所から奇跡的に救出された子供のことかと思い、漫然と録画して観ましたが 違っていました。概要はこちらで。
 ナチスのユダヤ人迫害が差し迫ったドイツや東欧で、ユダヤ人たちは必死で西欧、特にイギリスそしてアメリカに逃げようとしました。が、亡命先の受け入れ 条件として

※多額の所持金 ※就労証明書 ※保証人

等々厳しい条件があり、なかなかビザがおりませんでした。親たちはより条件の緩い子供だけでも逃がそうと必死になりました。イギリスに受け入れ組織がで き、里親探しや宿泊所つくりが行われました。親元を離れ、殆どの子が単身で渡英しました。
 辛くも海を渡った幼い子供たちは、滞在先で親兄弟を救出しようと奮闘します。
 難民救済委員会に毎日手紙を書く子、ロスチャイルド邸に日参して根負けさせ両親の 就労ビザを手にいれる子、父と仲の悪い従兄弟を脅して保証人になっても らう子、里親にうそをついてまで妹をすくおうとする子、みな、あの手この手と知恵を絞ります。こうして親との合流を果たした子もいれば、残った家族全てを 失い完全な孤児になってしまった子もいました。全ての子が、皆心の傷を負いました。里親との関係も良好で、戦後実両親との再会を果たした子でさえ、親子関係の修復が困難で苦しみました。
 生き残った子たちは、戦後よく「ユダヤ人は、なぜもっと早く逃げなかったのか」と 聞かれるそうです。私も浅学寡聞にしてそういう疑問を抱いていました。 実際には、全てのユダヤ人が生命の危機を感じ、逃げようとしたのです。映画のなかでも、イギリスのキリスト教会が「親子を引き離すのは非人道的」とため らっているうちに多くの子供が逃げ遅れた、というエピソードが語られていました。条件をクリアーできた人が、ためらわず、仕事も財産も速やかに処分して逃 げなければ、間に合わなかったのです。最近でもアンネ一家がアメリカまで逃げようとしたがビザが降りなかった、という報道がありました。受け入れ側が条件 を厳しくしすぎたのは、歴史的に反省すべきです。その反省で、現在ドイツの難民認定は世界で一番緩やかと言われているのです。


                     2007.5.2更新分



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